「子どもの心を知る」(園便りNO.13)

「すきになること」

好きになるのがぼくはすき

だれかがぼくをきらいでも

ぼくはだれかをすきでいたい

すきなきもちがつよければ

きらわれたってすきでいられる

 

なにかをすきになるのもぼくはすき

すきになると もっとそれをしりたくなる

しればしるほどおもしろくなる

それがうつくしいとおもえてくる

 

だれかをなにかをすきになると

こころとからだがあったかくなる

かなしいこともわすれてしまう

だれともけんかをしたくなくなる

すきなきもちがぼくはすき

 

谷川俊太郎さんの詩には、昔のことを思い起こしたり、こういう気持ちってあの時の気持ちだったのかもしれないと思わせられることが多い。

新任だった頃、私は年中組の担任となった。毎日毎日が必死だった。でも、何をしていいのか、どうしたら役に立つのかと、もがいていた。一人一人の子は愛おしく可愛いのに、思うようにならなかった。思うようにならない気持ちに任せて、「あつしくん」を叱った。あつしくんは大泣きした。そして、泣きながらこう言った。「せんせいにきらわれたっていいもん。ぼくはせんせいがだいすきだもん」と。私の頭の中で、雷が落ちた。「わたしだって、あつしくんがだいすきだよ。きらいじゃないもん。でも、しかっちゃった。わたしは、どうしたらいいの」と,あつし君に泣きながら言った。あつしくんは、「せんせい、いっしょにいいこになろう。いっしょにすきになろう」と。私の頭は、完全に燃えカスになった。その後、私とあつし君の立場は一転した。時にあつしくんは、私をリードした。私は、子どもの心が好きだと思ったし、もっと知りたいと思った。あつし君が卒園の時、担任より大泣きし、私の頭は放心状態になった。それから数年後、母方の先祖の墓参りに行った際、偶然、あつし君とお母さんに出会った。私の先祖のお墓のすぐ後ろが、偶然にもあつしくんの先祖のお墓だったのだ。あつしくんは、恥ずかしそうにしていたが、最後に「幼稚園の先生(してるのかい)?」と。私は「そうだよ」と、言葉少なに返事をして別れたけれど、あつし君のご先祖様に、「あつし君のお蔭で、今も教師をさせて頂いております」と、報告して帰ってきたことだった。今でも、お墓参りに行くと、あつし君の先祖のお墓に、感謝のお祈りをしてくる。あつしくんは、「人は好きになることから始まるのだ」と教えてくれた、私の教師だ。

はじめてのきもち」

はじめてのきもちで

むねがいっぱいになって

どうしていいかわからない

なみだがじわっとわいてくるけど

なきたいんじゃない

かなしいんじゃない

なまえがつけられないきもち

 

からだのなかにいずみがあって

そこからわいてくるのかな

こんなきもち はじめてのきもち

おとなはみんなしっているのかな

だれかにいいたいけど

なんていったらいいかわからない

じぶんだけのひみつのきもち

 

この詩でも、いろいろな子どもの顔が浮かんでくる。幼稚園で巻き起こる出来事の多くは、「はじめてのきもち」からである。この12月まで過ごしてきた中でも、子どもたちは、「はじめてのきもち」に、いっぱい出会ってきた。友だちに投げかけた愛のない言葉を、周りの子に聞かれて咎められる。咎めた方も、咎められた方も、何とか前向きに解決できる道を探る。その苦しい道を、どんな風に説明したらいいのか。その流れを、大人なら説明できたとしても、子どもにとっては、「なまえがつけられないはじめてのきもち」を説明できるはずがない。子どもは、そんなにたくさんの言葉を持っていない。大人は、「なまえがつけられないはじめてのきもち」を無視して、「あなたが悪い」「謝ったの?」「仲良くなったの?」と、結果だけを求める。本当に大事なのは、本当に分かってあげてほしいのは、子どもの「なまえがつけられないはじめてのきもち」なのに・・・。

 

子どもたちも、お母さんたちも、教師らも全力の2学期でした。子どもの成長を喜び合う日々でした。こひつじ幼稚園の教育へのご理解とご協力、心から、感謝申し上げます。

    メリークリスマス!

 

 

1月の行事予定

22日 始業式

24日 もちつき

視覚支援学校交流

25日 新入園児面接日

避難訓練

29日 なにぬねのの日

30日 誕生会

31日 つきのさんぽLIVE