前向きな言葉で(NO.5)

 今年の夏は、1学期の教育日が伸びたことで、例年より多く夏の遊びで盛り上がりました。色水を使っておいしそうなジュースをたくさん作ったり、砂場の家を基地に黙々とごちそう作りを楽しむ子や、園庭の片隅に咲いている花をそっと学級に飾る子がいました。自分たちで植えたカモミールの種の成長を心待ちにし、一凛咲いた花を仲間と喜び合う姿がありました。毎日虫捕り網を手に、虫を追いかけるのに夢中になる子や、虫が食べるアブラムシはどういうところにいるのかを聞いてくる子、ウォータースライダーを大工をして作り、シャワーを浴びながら滑ってみて、大喜びする子どもたちがいました。また、カンカン照りの中、熱い地面に両足を放り出し、汗だくになって泥んこの団子をピカピカに光るまで夢中で磨いている子、仲間と大工のジャングルジム作りに燃える子などたくさんの遊びが生まれました。また、泥んこ遊びも、次第にゆり組対たんぽぽ組の対決になり、つぼみ組の優先生が加わり、子どもたちに泥んこにされ、つぼみ組の子どもたちが、それを見ないふりをする姿も愉快でした。みんなで青空の下、プレゼントのスイカの種を飛ばしながらいただき、気が付くと、いい色に日焼けし、開放感に満ち溢れ、子どもたちの笑顔に「夏を満喫することができた」と感謝しました。
子どもたちの日焼けに、子どもの頃の自分を重ねました。私は毎年、顔と肩の皮が2枚は剥けるほど、夏の多くの時間を外で過ごしました。ミツバチと話をしているうちに唇と人差し指を刺され、高熱が出ました。母には「おしゃべりが嫌だったのかもね」と、兄には「トンボみたいに羽を捕まえようとしたんじゃないのか」と言われました。近所のおばちゃんは、私の腫れあがった顔を見て「さかえちゃんのこと、ミツバチが大好きって思ったんだね」と言い、「指は?」と聞くと、「握手したかったんじゃなぁい?」と言いました。私の幼稚園の先生は、「また、やってしまったのかい」と言ったので、私は、おばちゃんから言われた言葉に大げさなアヤを付けて「ミツバチは私のことがすきだったの。握手したかったの」と、素敵に言いました。(目まで毒が回り腫れあがった目と唇で言ったので、素敵が伝わったかは不明)先生は、ニヤリとして、ミツバチの針の載っている図鑑を見せて、「これで刺されたんだね」と言いました。図鑑をじっと見ていると、もっとよく見たくて花にとまっているミツバチにどんどん顔を近づけたこと、私の方を向いてほしくて、トンボみたいに羽を触ろうとしたことを思い出し、ベロンチョになった私の唇は「ミツバチったら、バカ」と言い、ジンジンする熱をもった人差し指を図鑑の裏表紙の冷たいところで癒そうとしたのでした。蝉のにぎやか声の下、ひたすらキリギリスやトノサマバッタを追いかけ、コメカミがジリジリと音がするほどの夏の暑さの中を過ごした記憶がよみがえりました。私は、何度も同じような失敗を繰り返す懲りない女でしたので、家族からは救いの言葉より、「また病院かい」となりますが、私の失敗を思いやってくれる大人もたくさんいました。ありがたいことでした。大人からもらう、前向きな言葉は、生涯を生きるエネルギーになるものです。
こひつじ幼稚園のAちゃんは、年少組の時、園庭で転んで膝に切り傷をし、血がいっぱい出て大泣きしていました。私は、「おー!生きてるねー。血は生きているしるしなんだよ」と言うと、Aちゃんの涙はピタッと止まったのでした。今年、その子が年中組になり、鼻血が出て泣いている友達に「おー!生きてるねー。これは生きているから出るんだよ」と、明るく伝えていたのでした。
かけっこをしていた年長児が、自分のふくらはぎの筋肉に気付き「僕はこんなに大きくなっていたんだ」と言いました。私は「君の足はそうとう速いぞ」というと、まじめな顔つきで強く頷くのでした。どんな時も子どもは前に向かって生きようとします。失敗しても、救いの言葉に自分を奮い立たせ、蘇ります。
心に響く前向きな言葉を子どもたちに注ぎながら、夏の遊びから、運動遊び、秋の遊びへと安心して、強く生き抜けるように職員全員で支えていきたいと思うのです。

*9月の予定*
1日 つぼみ組学級懇談会
2日 たんぽぽ組学級懇談会
3日 ゆり組学級懇談会
6日 あそびましょ・おはなししましょ
14日~16日 運動遊びの会
22日 誕生会
27日 あそびましょ