「どんな親になる?」(NO.3)

 5月も下旬になると、登園時の保護者の表情が心配や不安そうな顔から、明るい表情へ変わっていることがわかります。「楽しんでおいで」と一言添えて送り出してくださると最高です。
子どもも、目的を持って登園してくる子が増えていきます。「今日も魔女するの」「今日も遊園地作るぞ」「今日は、全部の自転車に乗ってみる」・・・。ガムテープをもって、忙しくしている子もいます。登園してすぐに、話が止まらない子もいます。
昨日のことでした。「あのね、気が付いたんだけど、おしっこは前から、うんちは後ろからなんだよ。知ってた?」と、大発見の大自慢の顔で言うのです。「そうなんだね。園長先生もそうだわ」と答えました。すると嬉しそうに「一緒だね~」と学級に向かっていきました。この日は、他にも下の話が続きました。「園長先生、お尻は二つあるでしょ。どうして切れているのか考えたんだけど、神さまは、いいうんちが出て、みんなが健康になるためにお祈りしながら二つのお尻に切ったんだよ。僕、そのことが分かったんだ。知らなかったでしょ」と言って、学級へ向かっていきました。この小さな哲学者たちは一番にどうしても言っておきたいことだったのだと受け止めました。

 ふと、自分の小さい時のことを思い出しました。私は作り歌をうたう子どもでした。
「♬ シッコ ウンチ オッパイ ボヨ~ンボヨン シーチャンノママハ パンパカパン ワタシノママハ チビチビチン ♪」倫理観の低い時代とは言え、私は平気で、町内を歌いながら歩いていた記憶があります。それを聞いた母は「何度あなたと他人のフリをしたことでしょう」っと言っていました。注意を受けやすい私にとっては「フリ」は救いでした。「フリ」と言われることで、私たちの関係は「本当は親子ですよね」と思えたからです。

今、教師になって理解できることは、子どもにとって、日々の営みの中で、自分自身の体の一番身近な出来事の不思議が、ウンチ シッコなのだということです。強い身体の自分に目覚めてきたとも言えます。もちろん、躾は重要ですし、生きる上での規範を教え育てる必要があります。しかしそれは、必ずしも厳しくするということではなく、言葉だけで教えるものでもありません。年齢以上の倫理や躾はいらないのです。「朝から、うんこしっこの話はしないの」と言ってしまえば、「神さまは、みんなが健康になるためにお祈りしながら二つのお尻に切った」などという年齢にふさわしい、子どもらしい話は二度と聞けないのです。

  十分に受け容れられ、愛された子どもは、人が生まれながらにもっている倫理的な力を発揮しやすくなります。自分が大切にされ、受け容れられた経験を通して、他者にも優しく接することができる子どもに育っていくのです。今、親に求められているのは、目の前の年齢の子どもの親であるということです。
母の日礼拝の後、お話させていただいたことですが、子どもを通して、親として育ててもらっていること、親にさせてもらっていることに感謝し、子どもを尊べる親であり続けましょう。

*6月の予定*
4日 なにぬねのの日
7日 花の日・子どもの日礼拝
12日 交通安全教室
14日 避難訓練(火災)
18日 なにぬねのの日
19日 園長先生お話会
20日 春の遠足
21日 身体測定
25日 内科検診
26日 歯科検診
28日 誕生会