幸せの塊りの中で(NO.12)

今年度、最後の園便りとなりました。私の拙い便りを読んでいただき、時には感想もお聞かせいただき、ありがとうございました。最後の園便りに、「別れ」ということについて書きたいと思います。
毎日、幼稚園が終わって聞こえてくる言葉があります。「〇〇ちゃーん、また明日ねー」「明日、会おうねー。きっと会おうねー」と、別れを惜しむかのような叫び声です。時々、外にいる先生の名前を呼んで、「先生大好きー、明日、また会えるねー」という声も聞こえます。その声は、きっと町内に響き渡っているはずです。私は、その声に思うのです。「満足な一日だったんだ。充実した一日を過ごせたんだ。明日もそんな一日にしてあげたい」と。ある時、丁度、降園時間にいらしたお客様がありました。そのお客様が、「角の向こうから、子どもの歌声や、さよならの声が聞こえてきて、『幸せの塊り』があると思ったくらいよ」と、表現してくださいました。『幸せの塊り』って、素敵な表現だと思いませんか?
先日、年少児と年中児が相談して、卒園する年長児のために、「お別れ会」を開いてくれました。ホールの飾りつけや、会のプログラムなど、相談が続きました。相談を重ねる度に、思いが深くなっていったようでした。「ゆり組の仲間からもらった愛に、お返しをしたい」という気持ちが生まれてきました。
クライマックスは、当日、手作りのプレゼントをゆり組の子どもたちに渡す時に、「愛を分けてくれてありがとう」「お別れだけど、元気でいてね」「愛してます」と、感謝の言葉が続きました。その度に、ゆり組のみんなが、「どういたしまして」と、泣きながら繰り返すのでした。ゆり組の子どもたちからも、お礼の言葉がありました。「私たちのために、お別れ会を開いてくれて、ありがとうございました」などと、ゆり組の子どもたちからの感謝の言葉を受けて、その度に、年少児と年中児は、「どういたしまして」と、泣きながら繰り返していました。共に喜び合う経験をたくさんしてきたからこそ、別れの悲しみはひとしおです。
人に、「ありがとうございました」と感謝の言葉を言えるのは、最高の喜びです。「どういたしまして」と言えるのは、もっと大きな喜びだと思います。子どもたちが、このように、喜びを分かち合える存在に育ったのだと感じました。『幸せの塊り』です。別れは、悲しいことですが、このような様子を見ながら、子どもたちの「心の成長」を確認することができたことを、嬉しく思いました。この春で、転園していく仲間がいます。この先も、新しい『幸せの塊り』の中で育っていってほしい、と祈ります。
保護者の皆さま、この一年も、温かなご支援をありがとうございました。コロナウィルスに苦しみましたが、私たち教師は、この一年を熱く過ごすことができました。ご協力に心から感謝申し上げます。